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第6話:重量問題の妥協案不採用により根本的な設計変更を選ぶ

Lockheed-Boeing-General Dynamics YF-22 F-22ラプター開発物語

1981年、F-22ラプターの始まりとなる、ATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムが正式に始まりました。

コンセプトが決まり詳細設計が進められましたが、「適正な重量を得るための詳細な設計と重量分析が十分に行われていなかった」という問題が残ったままでした。

ここでは、重量問題の妥協案不採用根本的な設計変更と開発に使われたCAEツールなどについて説明します。

この記事は、主に以下の記事をDeepLで翻訳したものを意訳しています。私の理解した内容となっていますので正確なところは原文をご確認ください。

出典:Lockheed Martin社のCODE ONE ARCHIVEの「Design Evolution Of The F-22 Raptor」より

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総重量とコストの要件未達について妥協案を提案

1987年6月下旬、チームは7月10日にフォートワースで行われた3社合同幹部会議の直前に入手した情報について、Kent氏は次の様に述べています。

  • 総重量で4,082kg、単価で500万ドルの開きがあるが、操縦パラメーターはすべてクリアしていました。
  • 重量とコストの問題を除けば、かなり良い機体ができたと思います。
  • 最大G時の燃料搭載量の要件を緩和したかった。
  • 総重量は他の要求を満たすことで得られるものとし、いくつかのミッションを削除し、アビオニクスの要求を簡素化することでコストを削減したかったのです。

つまり、次のように考えていました。

  • 燃料搭載の要件緩和による重量要件の妥協
  • アビオニクスによるコスト削減
はかせ
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開発側の立場としては理解できる提案ですが、受け入れられるかは別の話になるので、開発の大変さが伝わってきます。

妥協案は受け入れられず、根本的な設計変更に舵を切る

上述の妥協案は、受け入れられませんでした。

最終的に、チームは根本的な設計変更を選択します。

はかせ
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根本的な設計変更が必要だとは言え、この選択ができることは米国の強さではないかと考えています。

「bloody debate」という言葉で表現されていますが、これまでやってきたこと(とても大変な設計)をもう1度やり直すために必要だった、真剣勝負のような議論といったイメージかと思います。

Mullin氏によると、

  • Bloody debate(血のにじむような議論)の末、私たちは現在の設計を破棄して、最初からやり直すことに合意しました。
  • その週末には、デザイン・エンジニアリング担当の新しいディレクターDick Cantrell氏を迎え、人を集め、これからの90日間の作業に必要なトレーニングを開始しました。
  • 7月13日(月)に作業を開始しました。この日は、あらゆる戦闘機の概念設計において、最も創造的な時期の1つとなりました。
    • さまざまなインレット、さまざまな翼、そしてさまざまな尾翼の組み合わせを検討しました。
    • ある構成では、大きな蝶の尾が2つあり、どこかF-117に似ていましたが、F-117はまだ極秘扱いだったので、人々はそれを知りませんでした。
    • コンフィギュレーションの検索は広範囲にわたって行われましたが、その結果としての最大の変更点は、ダイヤモンド型の翼を採用することでした。
F-117:Bombs over Baghdad

An F-117 Nighthawk flies over the Nevada desert. The unique design of the single-seat F-117 provides exceptional combat capabilities. The fighter can employ a variety of weapons and is equipped with sophisticated navigation and attack systems integrated into a digital avionics suite that increases mission effectiveness and reduces pilot workload. (U.S. Air Force photo/Staff Sgt. Aaron D. Allmon II)

図1 F-117:Bombs over Baghdad

出典:HOLLOMAN AIR FORCE BASE(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像

F-117ナイトホークについては、以下をご参照ください。

世界初のステルス機F-117ナイトホーク(Nighthawk)退役後訓練で運用
2020年代のステルス戦闘機と言えば、F-22ラプターや航空自衛隊にも導入されたF-35が有名ですが、世界初のステルス機として実戦投入されたのがF-117ナイトホークです。平面が際立つ独特の機体形状で正式退役後、訓練で2021年現在運用中。
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最大の変更点はダイヤモンド型の翼

集中して行われたコンフィギュレーション検索では、以下の様に様々なデザインが候補として挙がり、1987年の夏に同時に検討・再考されたため、コンフィギュレーションの番号の付け方がかなり複雑になっています。

  • 菱形翼
  • ツインテール(4尾ではなく2尾)
  • 様々なインレット形状
  • 様々なフォアボディ形状が

これらの研究の出発点となったのは、台形の翼と4本の尾翼を持つコンフィギュレーション595-7でした。

また、ベースラインに相当するとされたコンフィギュレーション608Aは、同様の形状で、メインウェポンベイに搭載するミサイルを8発から6発に変更したものです。なお、すべての設計案はこのミサイル搭載を前提としています。

検討案を以下に列挙します。

  • 設定608:台形の主翼とツインテールを備えていました。
  • 607-0号機:ジェネラル・ダイナミクス社が提案したATFに似た菱形の主翼を採用しましたが、尾翼は1本ではなく4本です。
  • 607-11A型:菱形翼、双尾翼。
  • 611A型:菱形翼とツインテールで、090P型のような大型のチャインを持っていました。
  • 609A型:台形翼、ツインテール、シングルチンインレットと、ボーイング社が提案したATFによく似ていました。
  • 610A型:ボーイング社とロッキード社のハイブリッドで、台形翼、ツインテール、ツインサイドインレットを備えていました。

これらの構成研究を完成させるためには、コンピュータ支援設計(CAE)が不可欠であることが分かりました。

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CADAMによる詳細な部品設計、ACADとPerq投入とCATIA連携

ATFの開発で使われたCAEツールについて説明します。

CAEについては、以下のKindle本に設計入門者向けにまとめています。

Amazonへ:「FreeCADで始めるCAE設計入門

ATFは、最初からコンピュータを使って設計された戦闘機の1つで、当初比較的高速な2次元の製図パッケージであるCADAMを使用していました。

ゼネラル・ダイナミクス社のJohn Hoffschwelle氏によると、

  • CADAMは、設計コンセプトの反復ではなく、詳細な部品の設計に適していました。
  • すぐにACADとPerqコンピュータが必要だと気付きました。
  • ゼネラル・ダイナミクス社のからACADとPerqコンピュータを持ってきて、ロッキード社のセキュリティチェックを受けましたが、これは並大抵のことではありませんでした。
  • フォートワースにいた6人のエンジニアは、小さなオフィスというか大きなクローゼットの中で仕事をしていました。
  • ACADのおかげで、より多くのアイデアを、それぞれのアイデアをより詳細に検討することができました。

ACADとCATIA連携については、

  • ACADは、General Dynamics社が開発した3次元ソフトウェアパッケージで、概念設計と予備設計に使用されました。
  • ACADとダッソー社が開発した高忠実度3次元ソフトウェアであるCATIAを連携させるプロセスも採用しました。
  • CATIAは、数値制御された加工機に直接データを出力することができます。
  • ATFの設計者は、第一世代のラインデータベース(first-generation lines database)をACAD上で行い、素早く反復できるようにしていました。
  • これらのファイルは、CATIAのマスターデータベースに変換されました。

また、Mullin氏は、設計データなどを3つの拠点間で利用するデータリンクについて、次の様に述べています。

  • また、設計データやその他のデータを3つの拠点間でデジタル的に共有するためのデータリンクも用意しました。
  • このネットワークは、1987年のプログラム開始時に構築されたもので、ワークステーションではなくメインフレームの時代に作られたものです。
  • データリンクは安全で暗号化されていました。
  • Fort Worthのエンジニアは、BurbankやSeattleで設計関連のデータを共有することができました。

1987年8月中旬には、設計案は、

  • 595-7:ベースライン、台形翼、4つの尾翼、8発のミサイル
  • 612:ベースライン、6発のミサイル
  • 613:台形翼、ツインテール
  • 614:ダイヤモンド翼、4つの尾翼
  • 615:ダイヤモンド翼、ツインテール、ツインサイドインレット

の5つに絞られました。

8月下旬には、

  • 614:ダイヤモンド翼4尾のコンフィギュレーション

が選ばれました。

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軽さを重視してダイヤモンド形状の主翼を採用

Mullin氏によると、

  • ダイヤモンド翼を採用した根本的な理由は、最も軽量な構成で、最高の構造効率と操縦に必要なすべての制御力が得られることでした。
  • 最大の考慮点はその軽さでした。
  • 重量が決断を後押ししました。
  • また、ダイヤモンド翼は表面積が大きくなりますが、構造的な効率は高くなります。
    • ルートコードが長くなることで、胴体内の荷重経路がより分散されます。
    • 複数のバルクヘッドが曲げ荷重を支えます。
    • この設計により、内部機器の周囲に隔壁を配置する自由度が上がりました。
    • 燃料タンクの容積も大きくなりました。
  • 構造担当のエンジニアはダイアモンド翼を希望しましたが、それはルートコードが大きくなり、曲げモーメントの伝達が良くなるからです。
  • 空力担当者は、空力に有利なアスペクト比が得られる台形翼を希望しました。
  • 最終的にはロッキード・カリフォルニア社の社長であるDick Heppe氏が決定しましたが、彼の判断は正しかった。
    • 空力特性はさほど変わらなかったが、構造と重量が大幅に改善されました。
    • そこで、ダイヤモンドシェイプにしたのです。
    • しかし、ルートコードを大きくしたことで、尾翼が後ろに下がってしまいました。
    • 最終的には、尾翼の前部のために翼を切り欠くことになりました。尾翼が後ろに下がってしまうと、飛行機から落ちてしまう(飛行機の胴体から外れてしまうということ)からです。
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尾翼に関する検討

コンフィギュレーション614で主翼が決まると、次のコンフィギュレーションでは尾翼の配置が決まります。

ロッキード社のLou Bangert氏によると、

  • 風洞実験では尾翼の検討に多くの時間を費やしました。
  • 1987年の終わりから1988年の初めにかけて、私たちは「The great tail chase(偉大なる尾翼の追跡)」と呼ばれる作業を行っていました。
  • 4本の尾翼があることは分かっていましたが、それがどこに置くかは大きな問題でした。
  • ちょっとした場所の変化が大きな違いを生むことが多いのです。
  • 性能、ステルス性、安定性、制御性、そして抵抗を同時に考慮しなければなりませんでした。
  • 尾翼の配置と後端のデザインは、これらすべての効果を考慮した重要な設計上の検討事項でした。

風洞実験の結果、垂直尾翼の配置と胴体前部のデザインの間には非常に敏感な関係があることがわかりました。この相互作用は、解析や数値流体力学では正確に予測することができませんでした。

特定の迎角における前部胴体上の気流は、垂直尾翼のツインラダーが発揮する制御力に影響を与えます。つまり、空気の流れを正確に把握することが重要でした。

また、垂直尾翼のカント(cant)とスイープ(sweep)の角度は、レーダーの影響を受けやすいため、あまり変えることができません。

制御システムの設計者は、レーダーシグネチャーの要求に応じて、尾翼の位置を横方向または縦方向に移動させたり、形状をほぼ一定に保ったまま尾翼を縮小または拡大させたりして、適切な配置を見つけ出しました。

DEM/VAL段階が終わるまでに、チームは風洞に約2万時間を費やしました。その多くが尾翼の配置検討に費やされました。

1987年12月、台形の水平尾翼と垂直尾翼を持つコンフィギュレーション614-6が、尾翼追跡の出発点となりました。

その後、いくつかのコンフィギュレーションを経て、

1988年2月のコンフィギュレーション630で垂直尾翼は菱形に進化しました。630号機では主翼の面積も縮小されました。

コンフィギュレーション631では、垂直尾翼のサイズが7平方フィート増加しました。ラダーのサイズも若干大きくなり、垂直尾翼のカント角は30度から28度になりました。

1988年3月、コンフィギュレーション1131で試作機のデザインを凍結しました。

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短距離飛行のための逆噴射の要件取り下げ

米国空軍は全く要求を変更しなかったわけではありません。

1988年5月、空軍が短距離飛行のための逆噴射の必要性を排除しました。これにより、試作機の設計は土壇場で凍結を解除されました。

この変更により、チームは後部胴体の外部モールドラインと、推力反転装置周辺のノズルを変更することができた。後端が切り詰められたことで、抵抗が大幅に減少しました。

Mullin氏によると、

  • 5月までは、超音速域で適切な抵抗を持つ飛行機はありませんでした。
  • 5月になっても適切な超音速抗力を持つ飛行機ができませんでした。超音速抗力がまだ高すぎて、超音速飛行ができなかったのです。
  • 飛行科学のチーフエンジニアであるエド・グラスゴーが率いるチームは、前胴体と後胴体の設計をやり直しました。
  • その結果、超音速域での抗力が許容範囲内に収まり、超音速飛行が可能になりました。

1988年5月、コンフィギュレーション1132で試作機の最終デザインフリーズが行われました。

1131から1132への移行に伴い、主翼と胴体前部の形状変更と後部のトリム部分に加えて、水平尾翼も台形からダイヤモンド型に変更されました。

次は最終話、いよいよYF-22のプロトタイプが姿を現します。

Lockheed-Boeing-General Dynamics YF-22

Lockheed-Boeing-General Dynamics YF-22 DAYTON, Ohio — Lockheed-Boeing-General Dynamics YF-22 Raptor at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)

図2 Lockheed-Boeing-General Dynamics YF-22

出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像(トリミングしています)

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まとめ

1981年、F-22ラプターの始まりとなる、ATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムが正式に始まりました。

コンセプトが決まり詳細設計が進められましたが、「適正な重量を得るための詳細な設計と重量分析が十分に行われていなかった」という問題が残ったままでした。

ここでは、重量問題の妥協案不採用、根本的な設計変更と開発に使われたCAEツールなどについて以下の項目で説明しました。

  • 総重量とコストの要件未達について妥協案を提案
  • 妥協案は受け入れられず、根本的な設計変更に舵を切る
  • 最大の変更点はダイヤモンド型の翼
  • CADAMによる詳細な部品設計、ACADとPerq投入とCATIA連携
  • 軽さを重視してダイヤモンド形状の主翼を採用
  • 尾翼に関する検討
  • 短距離飛行のための逆噴射の要件取り下げ
はかせ

サイト管理人で記事も書いているモノづくり会社の品証の人。
振動制御で工学博士なれど、いろいろ経験して半世紀。
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