1981年、F-22ラプターの始まりとなる、ATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムが正式に始まりました。
RFIに基づくロッキード社、ボーイング社、ゼネラル・ダイナミクス社の設計コンセプトについて説明します。
この記事は、主に以下の記事をDeepLで翻訳したものを意訳しています。私の理解した内容となっていますので正確なところは原文をご確認ください。
出典:Lockheed Martin社のCODE ONE ARCHIVEの「Design Evolution Of The F-22 Raptor」より
RFI発表後の動き
RFI(request for information:提案依頼書)が発表されると、ATFプログラムが本格的に動き出しました。
1981年後半には、特定のミッションを特徴づける「A mission element need statement(以下、ミッションエレメント)」が発行されました。
1982年の夏、Tactical Air Command(戦術航空司令部)は、ミッションエレメントに対応する文書を発表し産業界のコメントを求めました。
この文書は次の様なものでした。
- ミッションエレメントに記載されたミッション達成に必要な脅威、作戦地域、能力について述べている。
- 正式にATFを空軍優勢の役割を担うF-15の後継機とするものでした。
1983年、Wright-Patterson AFB(ライトパターソン空軍基地)にATF・システム・プログラム・オフィスが設立されました。
1983年5月、ATFエンジンのRFI(提案依頼書)が発行されました。
ゼネラル・エレクトリック社とプラット・アンド・ホイットニー社が、競合するエンジン設計の製造とテストの契約を獲得し、次の様に命名されました。
- F120:ゼネラル・エレクトリック社製のエンジン
- F119:プラット・アンド・ホイットニー社製のエンジン
同時に、アメリカ空軍はATFのコンセプト提案を求めました。
図1 F-22:YF-119
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<HOME > NEWS > PHOTOS>からの画像
提案提出期限の1回目(1週間)の延期
ボーイング社、ジェネラル・ダイナミックス社、グラマン社、ロッキード社、マクドネル・ダグラス社、ノースロップ社、ロックウェル社がこの要請に応え、1983年6月中旬に提案書を提出しました。
しかし、締め切り直前に、ASDは1週間の延期を発表し、業者に次の指示を待つようにと伝えました。
この時点まで、ATFプログラムでは、ステルス技術に関する詳細な議論が避けられていました。
また、当初の提案書は30ページに制限され、ステルス関連の補足は極秘の別冊として5ページに収まるようにして提出する必要がありました。
当時の関係者のコメントに次の様なものがあります。
- 元々、ATFプログラムにはステルス機能は含まれていませんでしたが、この新しい技術を使わずに先進的な戦闘機を開発するのは、本当に愚かなことだったと思います。ステルス性がなければ、空軍がATFを正当化できたかどうかはわからない。
この様に、ATFにステルス性を持たせることは、セキュリティ面でも異例の前例となりました。このプログラムの最初の提案依頼のセキュリティレベルでは、ステルスに関する詳細は除外されていましたが、これは1980年代初頭には非常に機密性の高いテーマで次の様な状況でした。
- 各企業は、観察不可能な技術(ステルス性)を設計で考慮すると主張することはできても、実際の経験や技術を提案書で言及することはできませんでした。
- ステルス技術は「black」とされていました。このようなプログラムは、それを知らない人には存在しない。
このため、ぎりぎりになって提案依頼(RFI)を変更することで、ATFプログラムはステルスを使う世界と使わない世界の両方に置かれることになりました。
ロッキード社からみた当時の状況
ほとんどの企業が提案したコンセプトを検討する段階では、制空権を獲得するためにこれまでのアプローチをどのように絞り込んでいくかが示されていました。
そして、次の段階である実証・検証段階では、技術を証明し、設計を改良することになります。
しかし、ロッキード社は、コンセプト定義段階の提案において、高速・高高度の設計から一転して、F-117の派生型でゼロからスタートしました。
ここで、ロッキード社のOsborne氏による当時の回想を紹介します。
- ATFは明らかにスーパーステルスを目指しており、YF-12やSR-71の派生ではなかった。
- YF-12の派生機の開発を中止し、ATF用のF-117の派生機の開発に着手した。
ロッキード社が提案したデザインは、F-117を大きくして細長くしたようなものでしたが、次の様ないくつかの大きな違いがありました。
- 低翼ではなく高翼
- 尾翼は2つではなく4つ
- インレットは主翼の前縁の下と後ろに配置
- 断面の大きい飛行機は重量が約36,000kgもあり、空気力学的には現実的ではない。
また、Osborne氏は、次のことも述べています。
- 超音速化の要求に対して、深刻な問題があることは分かっていました。
- 我々の設計は超音速にも対応できたが、ひどい飛行機だった。十分なパワーがあれば、レンガを飛ばすこともできる。
- 当時は、ステルス性のある曲線形状の解析方法を知りませんでした。
- ソフトウェアも十分に洗練されていませんでしたし、必要な計算能力もありませんでした。解析問題に手を焼いていたのです。
ロッキード社は、「ステルス性のある形状として解析できなければ、ステルス性はない」と確信していました。その壁を破ったのは1984年のことでした。
ロッキード社が提出したコンセプト・エクスプローラー・フェーズの資料は、空軍にはあまり受け入れられず、7社の中で最下位になってしまいました。
ロッキード社を含め、ATFプログラムの概念探求フェーズに入札した7社は、それぞれ約100万ドルの契約を獲得した。この段階は1984年9月から1985年5月まで続き、空軍はプログラムを実証/検証段階に進めるための多くのブリーフィングと数千ページに及ぶ報告書を受け取ります。
デモ/検証段階では、優勝した4社にそれぞれ約1億ドルが与えられ、ATFの構築に必要な技術を実証することになります。1985年9月には、実証・検証段階のための提案依頼書が発行され、提案書の締め切りは同年12月に設定されました。
ATFプログラムにおいて各社が提出した構想図
RFIを受けて発表提案された機体形状の外形図を以下に示します。
提出を求められた会社は、ロッキード社、ノースロップ社、マクドネル・ダグラス社、ゼネラル・ダイナミクス社、ボーイング社、ロックウェル社、グラマン社です。
空対空と空対地のミッションで機体を共用化する・しない、F-14のような可変翼、X-29のような前進翼、F-16XLの様なデルタ翼など様々な提案となっています。
図2 ATF計画において各社が提出した構想図
出典:先進戦術戦闘機計画-ウィキペディア(Wikipedia)
(オリジナルの画像を加工し、単位をkg、mに変更しています。)
ロッキード社のデザイン
ロッキード社は、コンセプトの検討段階で、以下の状況により、次の提案期限までにATFプログラムを立て直すことになります。
- ロッキード社は、B-2となるファセットデザイン(faceted design:ライン情報だけで面が構成されているデザイン)を、ノースロップ社のより空気力学的に優れた飛行翼デザインに奪われたばかりでした。
- ロッキード社は、海軍の高等戦術機プログラムでも、高度なファセットデザインでコンペに参加した後、検討対象から外されていました。
このような状況下で、ロッキード社のコンセプト・エクスプローラーに対する空軍の反応を見て、ロッキード社はステルスのためのファセット化を再考することにしました。
Osborne氏によると、
- 解析ソフトのモデルにかけられないにもかかわらず、単純に曲線を描き始めた。
- 曲線を描くようにしたところ、超音速性能や操縦性能が許容範囲内に収まるようになった。
- ソフトウェアモデルに頼るのではなく、私たちは曲面形状を作り、社内のレーダーレンジでテストしました。
- レーダーテストでは、曲面形状がかなり良い結果を出してくれた。
ロッキード社のコンフィギュレーションは、ファセット形状から滑らかな形状へと急速に変化していき、最終的なDEM/VAL(Demonstration/Validation)デザインの直前のコンフィギュレーション(コンフィギュレーション084)では、ノーズがファセット形状になっている以外は滑らかな形状になっていました。
当時を振り返りOsborne氏は、次の様に振り返っています。
- ステルス性の高い平面レドームの作り方は知っていたが、ステルス性の高い曲面レドームの作り方は1985年の初めまで知らなかった。
- 1984年の終わり頃には、解析方法もわからないまま図面を書き始めていた。
090Pと名付けられた提案は、次の様なものでした。
- 流線型の機首
- 前縁と後縁の両方に正のスイープを持つ台形の翼平面
- 4つの尾翼面(水平2つ、垂直2つ)を持つ
- 大きな垂直尾翼は外側に傾斜
- すべての面の前縁と後縁の掃引角は共通の角度に揃えられていた。
- 翼の前縁からインレットの外側を通って機首の位置まで一直線に伸びる広いストレーキがデザインされている。
センサーのための広い視野という要求
ATFのデザインを後押しした(決めるための理由となった)のは、「センサーのための広い視野」という要求でした。
この要求は、次の様なものでした。
- 機首の両側に120度のレーダー視野を確保すること
- 赤外線による前方探査・追跡機能も必要
ロッキード社は、レーダーの視野を確保するために、機首に3つのレーダーアレイ(前方に1つ、横に2つ)を配置し、それぞれの翼の根本には赤外線サーチ&トラックシステムが搭載されていました。
機体に格納する武装
機体には6発の空対空ミサイルが搭載されており、ロータリー式のミサイルランチャーに格納されていました。
- ランチャーは機体から離れた場所に設置されていました。
- ランチャーを閉じると、ランチャーの底面が機体の下面になる。
- このランチャーは、単独で飛行場防衛用に使用できるように設計しました。
レーダーレンジでのテスト
ロッキード社では、湾曲した形状の大型モデルを作り、同社のレーダーレンジでテストを行った。そのデータをもとに、ロッキード社はDEM/VALフェーズの提案書を作成しました。
Osborne氏によると、
- アメリカ空軍が本当に知りたかったのは、ロッキード社が曲面ステルス機を設計できるかどうかということでした。
- 我々はレンジモデルを使って、曲線を描くことができることを示したのです。
ロッキード社がDEM/VALコンペに参加するにあたっての最大のメリット(強味)は、アプローチの刷新とステルスに関する豊富な経験でした。
また、ロッキード社は、最近ではHave Blueプログラムなど、さまざまなプログラムでラピッドプロトタイピングに定評がありました。
ボーイング社のデザイン
ボーイング社のコンセプトは、ロッキード社やゼネラル・ダイナミクス社が提出したデザインよりも大型の航空機で、それまでの設計で想定していた高い飛行速度を維持しています。
2個の垂直尾翼
このデザインの最大の特徴は、台形プランフォームの主翼の後ろ、胴体のかなり後方に位置する2個の垂直尾翼です。この垂直尾翼は、4個の尾翼と同じ垂直方向と水平方向の制御力を発揮するように設計されています。
Hardy氏によると、
- 2個の尾翼と4個の尾翼の違いについて、設計者が最も議論しました・
- ボーイング社全体がこの議論に参加し、特別チームを編成してこの問題を検討しました。
- 最終的に2本尾翼に軍配が上がりました。
- 動作速度が速くなったことで機体が長くなり、テールのモーメントアームも長くなりました。そのため、2つの尾翼ですべての要求を満たすことができると考え、デザインに低シグネチャ(発見されにくくする)と軽量化を実現しました。
ウェポンベイを中心に機体を設計
ボーイング社の設計者はウェポンベイに注目し、基本的にウェポンベイを中心に機体を設計しました。
風洞実験の結果、特に高迎え角での飛行に関する結果が、尾翼の配置、サイズ、カントアングル、配置に影響を与えることが分かりました。
この設計では、2つのエンジンに供給するために、内部にスプリッターを備えた単一のインレットを使用しました。このインレットは、より高い設計速度に達するために、内部に可変ランプ(スプリッターとの組み合わせ)を備えていました。
ボーイング社の設計者は、後に行われた設計変更の1つとして、ノーズランディングギアをインレットの後方に移動させています。
ボーイング社は、1970年代から1980年代にかけて、米国空軍の研究所や一部の機密プログラムで先進的な複合材料の研究を行っており、この設計では主翼に独自の熱可塑性プラスチックの製造プロセスと素材が採用されました。
このウェポンベイのコンセプトは、クイックチェンジパレットを使用して弾薬を配置し、短時間での供給する要求に応えられるようにしていました。
- ボーイング社の設計では、空対空兵器を内部に搭載していましたが、大型の空対地兵器は部分的に沈めて搭載
- 熱感知型のミサイルは胴体前方の別のベイに搭載
ボーイング社の設計では、120度の視野要件を満たすために、3つのレーダーを機首に搭載し、2つの赤外線サーチ&トラックセンサーも機首付近に配置されていました。
ボーイング社はこのプログラムの前段階で、7つの分野で上位に入るという好成績を収めていました。その設計も十分に練られ、風洞実験も行われていました。
さらに、アビオニクスの統合についても豊富な経験を持っていました。この経験はAWACSプログラムにさかのぼり、最近ではB-2爆撃機プログラムで磨かれました。また、同社は民間航空会社で培った素晴らしい生産能力を持っていました。
ゼネラル・ダイナミクス社のデザイン
ゼネラル・ダイナミクス社のDEM/VALフェーズのデザインは、様々なインプットから生まれました。
前のプログラムフェーズでは、従来型、全翼型、半不燃型の3つの航空機ファミリーに焦点を当てていました(コンフィギュレーションスタディではそれぞれC、W、Tと表記)。
- 従来型ファミリーは、これまでの研究で得られた21型の設計を継承しています。
- 全翼機ファミリーは、Sneaky Peteの最小観測値を超音速領域に持ち込もうとしたもの。
- 垂直尾翼1本の半無尾翼機は、この2つの中間に位置する機体です。
社内でのデザインコンペやトレードを繰り返した結果、セミテイルレスのアプローチが採用されました。
翼型と翼のデザインは、重量を最小限に抑えつつ、最大限の旋回性能と超音速巡航性能を発揮するように選択されました。
しかし、垂直尾翼が1本のため、完全なステルス性を実現するには問題がありました。
ジェネラル・ダイナミクス社は、T型機のツインキャント垂直尾翼の位置と形状を見つけるために、何度も風洞実験を行いましたが、前胴とデルタ翼からの渦流が双尾翼と相互に作用して不安定なピッチングモーメントを発生していまし。
水平尾翼がないと、このモーメントを打ち消すのに十分なピッチオーソリティが得られず、最終的には、サイドセクターでのレーダー断面積の低下にもかかわらず、垂直尾翼1本、水平尾翼なしが全体的に最適な設計となりました。この案はT-330と名付けられました。
ゼネラル・ダイナミクス社は、2つのレーダー・アレイと1つの赤外線サーチ&トラック・センサーを使用するというユニークな方法でセンサー要件を満たしました。
- 1つのIRSTセンサーは機首に配置され、2つのレーダーアレイはコックピットの後方に配置されました。
- 各アレイからのレーダービームは、アレイの面から60度の方向に向けることができ、それぞれのレーダーで直進から後方120度までの範囲をカバーすることができました。
- アレーはエンジンインレットの真上に設置されました。
ゼネラル・ダイナミクス社の構成は、高いレベルの詳細設計を実現しています。
同社は実物大のモックアップを製作し、レーダー断面をテストするためのハーフサイズのポールモデルを完成させていた。
また、予備的な構造設計が行われ、パートナー候補に機体を分割して提供できるように、製造拠点も決められました。
ゼェネラル・ダイナミクス社は、このプログラムのコンセプト探索の段階で、7社の中で非常に高い評価を得ていました。
ジェネラル・ダイナミクス社の強みは、F-16プログラムで培った戦闘機の設計・製造に関する豊富な経験です。また、ラピッドプロトタイピングの経験もあり、この点ではYF-16は他の追随を許さないプログラムでした。
図3 YF-16:YF-16 flies in 1974
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<HOME > NEWS > PHOTOS>からの画像
まとめ
1981年、F-22ラプターの始まりとなる、ATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムが正式に始まりました。
ここでは、ATF(先進戦術戦闘機)のRFIに基づくロッキード社、ボーイング社、ゼネラル・ダイナミクス社の設計コンセプトについて以下の項目で説明しました。
- RFI発表後の動き
- 提案提出期限の1回目(1週間)の延期
- ロッキード社からみた当時の状況
- ロッキード社のデザイン
- センサーのための広い視野という要求
- 機体に格納する武装
- レーダーレンジでのテスト
- ボーイング社のデザイン
- 2個の垂直尾翼
- ウェポンベイを中心に機体を設計
- ゼネラル・ダイナミクス社のデザイン