1981年、F-22ラプターの始まりとなる、ATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムが正式に始まりました。
ここでは、要求内容の大幅な変更となるステルス性の重要性アップと試作機の追加による影響について説明します。
この記事は、主に以下の記事をDeepLで翻訳したものを意訳しています。私の理解した内容となっていますので正確なところは原文をご確認ください。
出典:Lockheed Martin社のCODE ONE ARCHIVEの「Design Evolution Of The F-22 Raptor」より
提案内容の修正:ステルス性の重要性の大幅アップ
プログラムのDEM/VALフェーズの提案書が提出される数か月前に、米国空軍は提案依頼の修正を行いました。
この変更は、設計におけるステルス性の重要性を大幅に高めることになりました。
ロッキード社の対応
F-117から派生したステルス性の高い構成案を持っていましたが、設計に変更はありませんでした。
ボーイング社の対応
ステルス性向上のためインレット(空気取入口)の設計に若干の修正を加えました。
ツインテールデザイン(twin-tail design:双尾翼)はステルス性の要求を満たすものと考えていました。
ゼネラル・ダイナミクス社の対応
ステルス性能の向上に伴い、主翼上のポッドを含めた様々な場所にツインテール(双尾翼)の設置位置を再度検討しました。
翼の後縁と舵面をシェブロン状(山形)にカットして前縁に沿わせ、コウモリのような外観にしました。
最終的には、双尾翼の最適な設置場所が見つからず、T-333と呼ばれるセンターラインの単尾翼と鋸歯状の後縁を持つデザインを提出しました。
再度の期限延長
米国空軍は、前フェーズの提案と同様に、DEM/VALの提案書の提出期限を遅らせました。
今回の提出期限延長理由は、試作のためです。
- 契約者にF119とF120エンジンを搭載した2機の試作機を作ることを要求
この修正の背景には、次の様なことがありました。
- 1980年代初めに米議会で発表された、電子工業界のパイオニアであるDavid Packard氏を委員長とする委員会の報告書に対する反発から生まれたものである。この報告書では、最近のF-16プログラムの成功に影響され、新しい軍用機の試作を支持していました。
ATFプログラムでは、当初F-15のプログラムにならい試作機を含めてはいませんでした。
当時の試作機に関する米国空軍の取り組みを列挙します。
- 米国空軍は50年以上前から、試作品の価値について幾度も議論していました。
- 1960年代のF-15プログラムでは試作をしませんでした。
- 研究、地上試験、風洞試験を行い、そのまま本格的な開発作業に入りました。
- 試験機は作りましたが、それは生産形態に非常に近いものでした。
また、修正案では、プログラムのDEM/VALフェーズにおいて、ベストエフォートのコンセプトのデモンストレーションを求めていました。
ATFのコンセプトを支える重要な技術をどのように実証するかは、各社(契約者)に委ねられました。その中でも特に重要だったのが、超音速飛行と低観測性(被発見性)のための形状でした。
修正要求による影響
修正要求が出されたのは、各社があと数日で提案書を提出できるタイミングでした。
米国空軍は、4つの契約者に約1億ドルの契約を結ぶことで、プログラムに試作機を追加し、1つあたり約7億ドルの契約を2つだけ結ぶことにしたのです。
これに伴い、プラット・アンド・ホイットニー社製F119エンジンとゼネラル・エレクトリック社製F120エンジンを搭載した2機の飛行試作機をどのように設計・製造・試験するかについて、もう1つの提案書を書くように指示されました。
また、地上にアビオニクスのテストラボを建設することも要求されましたが、飛行アビオニクスのテストベッドを提供できるとしました。
提案内容を修正するために60日間の猶予が与えられました。
プラット・アンド・ホイットニー社製F119エンジンについて
プラット・アンド・ホイットニー社製F119エンジンとゼネラル・エレクトリック社製F120エンジンは、どちらも所望の要求を満足していて同じような仕様です。
なお、F-22とF-23のエンジン出力部分は外観が異なります。
F-22 | スラスト・ベクトル・ノズルが上下方向に可動 |
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F-23 | 排気口部分を地上から探知しにくくするため、エンジン下側の部分が胴体下部を延長したようなデザインとなっている。 |
なお、ゼネラル・エレクトリック社製F120の方が最新の技術を利用していたようです。
ここでは、F-22に搭載されることになったF119について紹介します。
図1 F119-PW-100:Hush House
出典:HOLLOMAN AIR FORCE BASE(米国空軍)のWebサイト<HOME > NEWS > PHOTOS>からの画像
図2 F119-PW-100:In the hush house
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<HOME > NEWS > PHOTOS>からの画像
米国空軍からの追加指示:チーム編成
1985年末にDEM/VALフェーズのプロポーザル要求が修正された頃、米国空軍は競合企業に、次の様なチーム編成を促す手紙を出しています。
- 訂正された提案依頼書には、チーム編成を促すカバーレターが付いていました。
- 米国空軍がチーム編成を奨励したのは、産業界の最高のリソースをこのプログラムに投入したいと考えたからです。
契約企業間の複雑な駆け引きはすぐに始まり、次の様になりました。
- 1986年6月、ボーイング社、ゼネラル・ダイナミクス社、ロッキード社の3社は、それぞれ提携契約を結びました。
- ボーイング社、ゼネラル・ダイナミクス社、ロッキード社の3社のチーム契約では、勝利した会社がチームリーダーとなることになっていました。
- このチーム編成は「ブラインド」で行われ、契約締結前に参加者は他の候補企業の航空機やプログラムのプランを見ることはできませんでした。
- ボーイング社、ゼネラル・ダイナミクス社、ロッキード社の3社は、それぞれ20人の高級管理職を指名し、受注発表の翌日には受注企業の現場に赴くことになっていました。
- 2ヵ月後、ノースロップ社とマクドネル・ダグラス社は提携を発表しました。
- 残る2社は組まなかった。
1986年10月31日、7億ドルの契約が発表されました。
- トップ2の候補は、ロッキード社とノースロップ社
こうして、ボーイング社とゼネラル・ダイナミクス社の代表者は、11月2日にカリフォルニア州バーバンクにあるロッキード社のスカンク・ワークスで、パートナーとしてロッキード社の担当者と初めて顔を合わせています。
このチームは、米国空軍の次世代戦闘機をめぐって、ノースロップ社やマクドネル・ダグラス社と競い合うことになりました。
ATFプログラムの実証・検証段階の始まり
前述の発表により、ロッキード社とノースロップ社はそれぞれ6億9100万ドルの契約を獲得し、先進的な戦術的戦闘機プログラムの実証・検証段階に進むことになりました。
この2チームにより、プラット・アンド・ホイットニー社製エンジンとゼネラル・エレクトリック社製エンジンを搭載した2機の試作機を作ることになります。
また、地上でのアビオニクスの試作機と、アビオニクスを実証するための飛行実験室を作ります。
このDEM/VALの段階で、どのチームがATFプログラムの次の段階に進み、最終的にATFの生産バージョンを作るチームが決定されます。
DEM/VAL Awardの発表後、Advanced Tactical Fighterプログラムは、ステルス状態に戻りました(極秘の扱いとなり秘密裡に開発が進められました)。
約4年後の1990年8月に試作機が発表されるまで、このプロジェクトに関する情報はほとんど公開されませんでした。プロジェクト関係者にとって、この4年間は決して静かなものではなく競争も激化していました。
まとめ
1981年、F-22ラプターの始まりとなる、ATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムが正式に始まりました。
ここでは、要求内容の大幅な変更となるステルス性の重要性アップと試作機追加による影響について以下の項目で説明しました。
- 提案内容の修正:ステルス性の重要性の大幅アップ
- ロッキード社の対応
- ボーイング社の対応
- ゼネラル・ダイナミクス社の対応
- 再度の期限延長
- 修正要求による影響
- プラット・アンド・ホイットニー社製F119エンジンについて
- 米国空軍からの追加指示:チーム編成
- ATFプログラムの実証・検証段階の始まり