1981年から正式に始まったF-22ラプターのATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムの物語もいよいよ最終話となりました。
F-22やF-35などの第5世代戦闘機は、ステルスがキーワードですが、戦い方そのものも大きく変わっています。その先駆けとなるF-22のプロトタイプYF-22と競争相手となったYF-23について説明します。
この記事は、主に以下の記事をDeepLで翻訳したものを意訳しています。私の理解した内容となっていますので正確なところは原文をご確認ください。
出典:Lockheed Martin社のCODE ONE ARCHIVEの「Design Evolution Of The F-22 Raptor」より
YF-22の製造図面正式発表と2年に渡る製作
1988年4月1日、YF-22製造のための最初の図面が正式に発表されました。
胴体の製作
2機のYF-22のうち最初の1機の製造は、4月27日の中間胴体のチタン製バルクヘッド(隔壁)のラフカットによりFort Worthで開始されました。中間胴体の製造は、Fort Worthの本工場のF-16最終組立ラインの北端にある安全(secure)なエリアで製造されました。
前部胴体は、ロッキード社のBurbankにある施設で前輪前部の隔壁から生産が始まりました。
後部胴体と主翼は、同じ時期にSeattleのボーイング社で、フラペロン・トルク・アーム組立(flaperon torque arm assembly)から始まりました。
試作機の製作には、その後2年間が費やされました。
各部の組み立て
試作機の各部は、カリフォルニアのPalmdaleで組み立てられました。
最初の中間胴体は、1990年1月12日にロッキードC-5Aギャラクシーで西海岸に輸送されました。
図1 C-5Aギャラクシー
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
Carswell空軍基地を離陸した直後、この大型貨物機は落雷に遭いましたが、その日の夜には、前部胴体との結合に向けて、中間部胴体の準備が進められました。
前部胴体は、数日前にBurbankからトラックで運ばれていました。
後部胴体は、中間胴体が到着したのと同じ日に、Seattleからトラックで運び込まれました。
Mullin氏によると、次の様な理由で組み立ては順調に進んだようです。
- これらの主要構造部品の結合は、迅速かつスムーズに行われました。
- 機体の詳細設計にCADAMソフトウェアを使用したことと、3つの拠点で組み立てツールを使用したことが功を奏しました。
YF-22の一般公開と飛行試験プログラム
1990年8月29日、YF-22はPalmdaleのスカンク・ワークス施設で一般公開されました。
1990年9月29日、試作機はロッキード社のテストパイロットによりPalmdaleからEdwards空軍基地近くまで飛んだのです。
2号機は1990年10月30日、2号機が初飛行しました。
その後の飛行試験プログラムは、航空史上最も集中した取り組みの1つとなり、次の様な結果を残しています。
- 10月には13回、11月には22回、12月には38回と飛行回数が増えていきました。
- YF-22は、マッハ2、7G、60度の迎え角を超えて飛行領域を拡大しました。
- テストチームは74回のフライトで90時間以上の飛行時間を記録しました。
- 飛行試験では、AIM-9MサイドワインダーとAIM-120 AMRAAMの両方のミサイルを実射しました。
図2 YF-22のミサイル発射試験:YF-22 Advanced Technology Fighter fires a missile
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
図3 F-22にAIM-120搭載:Weapons free: F-22 loadcrew competition
出典:EGLIN AIR FORCE BASE(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
図4は、F-22のウェポンベイから発射されたサイドワインダーの写真です。
図4 F-22からAIM-9Xを発射:F-22 fires AIM-9X Sidewinder missile
出典:AIR FORCE MATERIEL COMMAND(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
図5は、F-22からサイドワインダーを発射直前の写真です。
ウェポンベイからサイドワインダーが外側に飛び出している様子が分かります。
図5 F-22からサイドワインダー発射前:Raptor claws
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
アフターバーナーなしでの超音速飛行(スーパークルーズ)実証
YF-22は、プラット・アンド・ホイットニー社製エンジンとゼネラル・エレクトリック社製エンジンの両方で、アフターバーナーを使用しない超音速飛行(スーパークルーズ)を実証しました。
Kent氏は次の様に述べています。
- ようやく初飛行に成功した後、飛行率が非常に高くなりました。
- 「3ヵ月以内に飛行しなければならなかった。」のですから、そうせざるを得ませんでした。
- 私たちの頭の中には、空軍の軽量戦闘機プログラムであるYF-16とYF-17の戦いがありました。ノースロップ社のYF-17よりもゼネラル・ダイナミクス社のYF-16の方が飛行率が高かったのです。
- 私たちは、YF-22の飛行試験プログラムでもそのパフォーマンスを再現したいと考え、それを実現しました。
- ロッキード社、ボーイング社、ゼネラル・ダイナミクス社からは、経験豊富な飛行試験担当者が集まっていました。
- 経験豊富なフィールドサービス担当者も多くいました。
- ロッキード社のDick Abrams氏は、エドワーズの飛行試験チームの責任者として素晴らしい仕事をしてくれました。
テストプログラムにおけるATFの要求を満たす性能と操縦性の実証要求
フライトテストプログラムでは、スーパークルーズを含むATFの要求を満たす性能と操縦性を実証することが求められました。
Kent氏は次の様に述べています。
- スラストベクタリングは要求されていませんでしたが、失速後の操縦で十分に実証されました。
- また、低視認性の要件については、実物大のポールモデル( full-scale pole models)を用いたレーダーレンジで評価しました。
Moran氏は次の様に述べています。
- ノースロップ・マクドネル・ダグラス社のチームは、我々よりも1カ月早くスタートし、ごく普通の短い飛行試験プログラムを成功させました。
- 遅れてきて、3ヵ月間のフライトテストに想像以上のものを詰め込んだ。そして、それを無事にやり遂げたのです。
進化するプロダクションデザイン
プロトタイプデザインが凍結された後も、プロダクションデザインは進化し続けました。
YF-22とF-22の外観上の違いのほとんどは、コンフィギュレーション1132以降のDEM/VALの進化によるものです。
1988年7月までに、コンフィギュレーション632はコンフィギュレーション634へと進化し、コックピットの移設、インレットの短縮、構造上の配置の改善などが行われた。
さらに重要なのは、アビオニクス関連コストに900万ドルの上限を設けたことです。このアビオニクスのコスト上限は、プログラムに大きな影響を与えました。
Mullin氏は次の様に述べています。
- アビオニクスの要求はどんどん増えていきました。
- 1989年1月に米国空軍の高官が集まり、アビオニクスの上限を決めました。
- 1989年1月にアメリカ空軍の高官が集まり、アビオニクス・キャップを決定しました。この上限設定は、2つのチームだけでなく、空軍にも衝撃を与えました。
- 赤外線サーチ&トラックシステムは塵となり(カットされ)、サイド・ルッキング・レーダーアパーチャーを含む他の多くのシステムも同様でした。
- この制限は、おそらくプログラムに起こった最も良いことの1つです。
- これまでに、空力機器の成長(要求の増加)は制御不能に陥っていました。空軍は1つのシンプルな数字をテーブルの上に置くことで、多くの問題を解決したのです。
最終デザインの提出
1989年の秋までに、コンフィギュレーション634はコンフィギュレーション637へと変更されました。
コンフィギュレーション637では、次の変更がありました。
- 前胴部の形状が変更
- 武器庫のデザインとシステムの配置が変更
1990年初頭には638が登場しました。
コンフィギュレーション638では、次の変更がありました。
- 翼の前縁部の掃引角は48度から42度に変更
- インレットはより後方に、コックピットはより前方に移動
- 垂直尾翼は小さくなりました。
- 翼端の後縁は切り落とされました。
- 全長は19.5mから18.9mに短縮されました。
最終的に、次期計画の提案書では、コンフィギュレーション638のバリエーションが最終デザインとなり、1990年の最終日にオハイオのWright-Patterson空軍基地の空軍に届けられました。
YF-22とYF-23の勝者
1991年4月23日、YF-22とYF-23とで競われたATFプログラムの勝者には、ロッキード社(機体:YF-22)とプラット・アンド・ホイットニー社(エンジン:YF-119)が選ばれました。
Donald Rice空軍長官は、次の様に述べています。
・明らかに優れた能力を低コストで提供しており、空軍に真のベストバリューを提供している。
図6 YF-22とYF-23
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像(トリミングしています)
生産(量産)予定
当初の本格的な開発契約では、単座9機、2座2機、地上試験2機のF-22が予定されていました。
生産段階では、当初750機が生産され、2005年に初号機が納入される予定でしたが、民主党政権後期に648機に削減されました。
その後の冷戦後の資金調達や脅威の分析により、現在では購入予定数は339機に減少しています。
生産機数が削減される一方で、当時の可能性としては、次の2つがありました。
- 空軍はF-15Eに代わるF-22の空対地バージョンの可能性に注目していた。
- 長期的な可能性として、米国の同盟国への販売
YF-22の勝因について
空軍は選定後に提案内容の詳細な評価を業者に伝えていないため、ロッキード・ボーイング・ジェネラル・ダイナミクス社の勝利の理由には解釈の余地がある。
Sherm Mullin氏は次の様に述べています。
- 我々の目標は、特定の分野に集中するのではなく、すべての面でノースロップ・マクドネル・ダグラス・チームに勝つことでした。
- 6億7,500万ドルに膨れ上がったチームの投資を活用して、全面的な戦略を実行した。
- 私たちは、バランスのとれた設計で量産体制を整えました。
- 試作機の性能は、ほぼ空軍に予測した通りの結果が得られました。
- 実物大のポールモデルでは、レーダーシグネチャーの目標が低リスクで達成可能であることが示されました。
- 統合アビオニクスに対する我々のアプローチは、地上および飛行実験室で実証された。
- 膨大な量のアビオニクス・ソフトウェアをリアルタイムで試作し、それがうまく機能しました。
- 信頼性、保守性、サポート性の機能は、自給自足の運用に重点を置いてF-22に設計されました。
- 私たちは、空軍が提案したエンジニアリングと製造の開発段階での要求事項を、細部まで厳密に遵守しました。
こうして、F-22プログラムは、今秋(1991年の秋)、最初のロットの生産機のロングリード契約(長期契約)を締結し、開発から生産への移行を開始しました。
現在の設計はコンフィギュレーション645ですが、1990年12月に設計・製造開発段階で提案されたコンフィギュレーション638から外観ライン(外観形状)はほとんど変わりませんでした。
YF-23の紹介
ATFプログラムで作られたYF-23について簡単に紹介します。
YF-23もYF-22同様2種類のエンジンを載せた2機が作られましたが、YF-22の様にミサイル発射試験を行うなど量産機に近い状態まで作りこまれてはいなかったようです。
図7 YF-23の試作機:Northrop-McDonnell Douglas YF-23A Black Widow II
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME>VISIT>MUSEUM EXHIBITS>FACT SHEETS>DISPLAY>からの画像
YF-22は技術的には保守的な開発と考えていますが、YF-23は技術的に先進的なチャレンジをしています。
下図はYF-22の機体上面の写真です。YF-22との外観上大きな違いは次の2点です。
- 垂直尾翼と水平尾翼を一体化している。
- エンジン排気口の機体下部は、機体下方のステルス性を高める形状となっている。
図8 YF-23の機体上面:Northrop-McDonnell Douglas YF-23A Black Widow II
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME>VISIT>MUSEUM EXHIBITS>FACT SHEETS>DISPLAY>からの画像
下図は、YF-23の機体後方からの写真です。
特長的な垂直尾翼と水平尾翼の一体化と排気口の形状が分かりやすいかと思います。
図9 YF-23の機体後部:Northrop-McDonnell Douglas YF-23A Black Widow II
ATFプログラムの経緯(まとめ)
最後にATFプログラムの経緯を簡単にまとめておきます。
- 1982.12 RFI発表
- 1983.05 RFI改訂(ステルス性追加)
- 1985.10 ATF 7社 コンセプトデザイン
- 1986.07 提案書提出
- 1986.07 YF-22とYF-23の2案
- F-22:ボーイング社、ゼネラル・ダイナミクス社、ロッキード社の3社
- F-23:ノースロップ社とマクドネル・ダグラス社
- プラット・アンド・ホイットニー社製F119エンジン
- ゼネラル・エレクトリック社製F120エンジン
- 1991.04 YF-22+YF119に決定
まとめ
1981年から正式に始まったF-22ラプターのATF(Advanced Tactical Fighter:先進戦術戦闘機)プログラムの物語もいよいよ最終話となりました。
F-22やF-35などの第5世代戦闘機は、ステルスがキーワードですが、戦い方そのものも大きく変わっています。その先駆けとなるF-22のプロトタイプYF-22と競争相手となったYF-23について以下の項目で説明しました。
- YF-22の製造図面正式発表と2年に渡る製作
- 胴体の製作
- 各部の組み立て
- YF-22の一般公開と飛行試験プログラム
- アフターバーナーなしでの超音速飛行(スーパークルーズ)実証
- テストプログラムにおけるATFの要求を満たす性能と操縦性の実証要求
- 進化するプロダクションデザイン
- 最終デザインの提出
- YF-22とYF-23の勝者
- 生産(量産)予定
- YF-22の勝因について
- YF-23の紹介
- ATFプログラムの経緯(まとめ)