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B-1Bランサーの情報は、以下をご参照ください。
2021年現在、米国の爆撃機は、B-52H Stratofortress、可変翼のB-1B Lancer、ステルスで無尾翼のB-2、さらに最新型のB-21の開発が進んでいます。
ここでは、米国の戦略爆撃機の歴史のうち、B-52Aの初飛行から、超音速の戦略爆撃機B-1B Lancer誕生まで、主にNASAのWebサイトNASA HISTORYからの情報を元に説明します。
B-52後継機として最初の成功例:B-58 Hustler
ここでは、NASAのWebサイトにあるNASAの歴史の情報から、戦略爆撃機に関する部分を紹介します。なお、正確な内容を確認したい場合には、後述のNASAのWebサイトをご確認ください。
B-52の初飛行する前から、その後継機の研究は進められていました。兵器の運搬時間を短縮し、敵の防衛力に対する脆弱性を軽減する手段として、音速を超えることは、より効果的な大型爆撃機を開発するための最も有利なアプローチであると考えれれていました。
まずはB-52から
B-52の歴史は長く、現在もB-52Hと現役で運用されています。
1954年にB-52Aは初飛行しており、1952年4月に初期運用能力(Initial operating capability)を獲得し、実戦配備可能となりました。
図1 Boeing B-52A
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
B-58 Hustlerは、大成功とは言えなかったようですが、「音速を超えることが、より効果的な大型爆撃機を開発するための最も有利なアプローチである。」との考えの最初の成果がB-58 Hustlerです。
外観からはSR-71ブラックバードほどではないですが、エンジンが飛んでいるようなイメージを受けます。
図2 B-58 Hustler
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
マッハ3.0の超音速爆撃機:XB-70 Valkyrie
B-58の次に登場したのは、ノース・アメリカン・アビエーション社が開発した超音速爆撃機XB-70 Valkyrieです。
1957年12月、このマッハ3.0の戦略爆撃機の契約が締結されました。B-58 Hustlerをはるかにしのぐ超音速巡航効率が可能になりました。
しかし、マッハ3.0の航空機が22.86 kmで巡航したとしても、敵の防衛線をうまく突破できる可能性はほとんどないという確信が強まり、1961年にこのプログラム(開発)は中止されました。
XB-70 Valkyrieは、試作機が2機のみ製作され、XB-70の1号機は1964年9月に初飛行しています。約1年後に飛行した2号機は1966年に空中衝突で破壊しました。
その後、1号機を使ったNASAとUSAFの大型超音速巡航機の問題点に関する共同飛行研究が数年間行われ、1969年2月に最後のフライトを終えています。
XB-70 Valkyrieは、直線部分が目立ちステルスのイメージはあまりありませんが、機首両側の大きなフロントウィング、コンコルドのようなデルタ翼など独特の機体形状です。
図3 XB-70A:離陸時
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
XB-70 Valkyrieの主翼と2個の垂直尾翼、6基のエンジンを確認できます。
図4 XB-70A:後方から
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
主翼左右の先端部分が下向きになっています。
主翼下面に6基のエンジン、主翼上面に胴体が乗っているデザインです。
図5 XB-70A:飛行中
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
機首の黒い部分は、高速飛行時にはせり上がり、操縦席と滑らかにつながった形状になるようです。
図6 XB-70A:機首
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
XB-70計画中止とB-1A誕生
当時、XB-70計画の中止は、重要な兵器としての有人爆撃機の終焉を意味するとの考えと、より高性能な新型爆撃機が必要であるという考えがありました。
その後、航空、エレクトロニクス、兵器などの分野における既存の技術と将来の可能性を考慮しながら、さまざまなタイプの航空機の潜在的な有効性とミッションプロファイルについて詳細な研究が数年に渡り行われました。
研究の結果、新しい爆撃機の要求事項と提案書が発行され、1970年6月、ロックウェル・インターナショナル社は、爆撃機(B-1A)の設計を担当することになります。
B-1Aへの要求:超音速での巡航
B-1Aには、亜音速およびマッハ2.2の超音速での高効率巡航飛行が求められていました。
高効率巡航飛行とは、アフターバーナー等で一時的に超音速の飛行ができるだけでなく、超音速での長距離飛行ができることです。
その他にも、次の様な要求が求められており、ロックウェル社の提案では、可変翼を組み込むことで、次の様な要求を満たせるようになっていました。
- 音速に近い速度での低空侵入能力
- 地上での脆弱性を軽減し、SAC(Strategic Air Command)の大規模な基地以外の飛行場でも運用できるように、離着陸場の長さを短くすること
B-1Aの初飛行から開発中止
1974年12月、試作機が初飛行をしています。
図7 B-1A
出典:NATIONAL MUSEUM OF THE UNITED STATES AIR FORCE(TM)(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
1979年までに4機の試作機が作られ、4機目は電子システムを搭載した完全な運用機となりました。
しかし、B-1Aの生産計画は、カーター政権1年目の1977年6月に中止されています。
中止の理由は、B-1Aのコストが高いことと、敵の防衛線を突破する能力に疑問が残っていたことと言われています。
B-1Aの詳細については、以下の記事をご参照ください。
B-1プログラムの復活とB-1B Lancer誕生
その後、レーガン政権の初年度にB-1プログラムが復活し、よりシンプルで低コストのバージョンの生産が計画されました。これが、B-1B Lancerです。
図8 警戒任務中のB-1B Lancer:Presence patrol
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
B-1B Lancerでは、マッハ2.2の超音速巡航の必要性がなくなり、最高速度は高高度でのマッハ数1.2程度となっています。
B-1計画再開されたということは、21世紀に入っても米国の軍事力の最前線で重要な役割を果たすことが確実になったということでもあります。
B-1B Lancerの詳細については、以下の記事をご参照ください。
参考リンク:NASA HISTORY
Quest for Performance: The Evolution of Modern Aircraft
Part II: THE JET AGE
Chapter 12: Jet Bomber and Attack Aircraft
Search for a New Strategic Bomber
まとめ
2021年現在、米国の爆撃機は、B-52H Stratofortress、可変翼のB-1B Lancer、ステルスで無尾翼のB-2、さらに最新型のB-21の開発が進んでいます。
ここでは、米国の戦略爆撃機の歴史のうち、B-52Aの初飛行から、超音速の戦略爆撃機B-1B Lancer誕生まで、主にNASAのWebサイトからの情報を元に以下の項目で説明しました。
- B-52後継機として最初の成功例:B-58 Hustler
- まずはB-52から
- マッハ3.0の超音速爆撃機:XB-70 Valkyrie
- XB-70計画中止とB-1A誕生
- B-1Aへの要求:超音速での巡航
- B-1Aの初飛行から開発中止
- B-1プログラムの復活とB-1B Lancer誕生
- 参考リンク:NASA HISTORY